法話693

越えたい厳しい試練

福井市天王町・正善寺住職 藤井保興

人生に無風の状態はあるか

私の毎日の生活を振り返ってみますと、実にたくさんの願いをかけているなあ、と感じます。「もっとお金がほしい」「健康でいたい」「長生きしたい」「無事であってほしい」など、数え上げればきりがありません。
どうして、そんな願いが出てくるのでしょうか?それは、現在の私の置かれている環境に満足していないのと、常に私の生活が脅かされているからこれらの願いが、形を変えて出てくるのであります。
これらの願いの中でも、特に強いものは「平穏無事の日々が送れるように」といった願いでありましょう。
他人の生活は、いかに苦しくても、悲しみのどん底に沈んでいても、平然として見ていられるのに、たまたま小さなトラブルが自分の生活の中に出てくると、突如としてバランスを失った独楽(こま)のように、生活の土台から崩れてしまいます。それだけに「何事も無事であるように」という願いには、力が入るのでありましょう。
しかし、波風の立たないことを願う方が無理ではないでしょうか。
さまざまな波風を受けなければ、生きていくことが出来ないならば「波風を受けて生きていくのが人間なんだぞ」と受けとめて生きることが出来るのではないでしょうか。旗は、風になびくから美しいのだ-といった人がありますが、私の人生も、生老病死の厳しい波風が立つからこそ、人生を無駄に費やさないよう生きる姿勢が出てくるのではないでしょうか?

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