法話675

私を生かして下さる

春江町千歩寺・順教寺前住職 中臣徳恵

すべてわがよきため

昭和初頭であったが、「実験の宗教」という書籍に大谷大学学長であった佐々木月樵先生の書かれた「すべてわがよきため」という一句が強く私の心に銘記された。当時、大阪の貿易関係の学校に勤務していたが、大阪の商工会議所の経営で海外貿易、特に英語、支那語科を専門としての教科が主であったが、竜谷大学を卒業した私は、国語、漢文、日本史などの受け持ちであった。
時々、補習の時間を利用して宗教ことに仏教に関する聖典の解明等も話した覚えがある。その節、この「すべてよきため」ということが、力強く授業中に話されたと思われる。それから何十年も経過して、今から十年余り以前であるが、突然その学校の卒業生の一人で、目下、東京で某会社の重役をしているのが、芦原まで会合があって来た。
付近に先生のお宅があると思って、お訪ねしたという。「私は戦争にも応召したが、あらゆる困難に逢った時、先生から聞いた『わがよきため』の一語がおのずから頭に浮かび、いつの間にか落ち着いて、ある大きな力がわき出て、難局を乗り越えてきた。この喜びを申し上げたい」とのことであった。
宗祖親鸞聖人は「釈迦弥陀は慈悲の父母で種々に善巧方便しわれらが無上の信心を発起せしめ給ひけり」と和讃せられた。苦難の連続の人生のその時、本願他力によることに心が向けられたとき、何事もおはからいであり、あの手この手のお手だてであったと喜ばれたのであった。
吉川英治氏は「世の中すべてわが師なり」と、すべては私を生かして下さるおかげであったと、受けとることを得るは幸いである。何事も無駄はない。一つ一つが自己を真実に向かわして下さる恩恵であった。すべて良い方に受け取るのだと教えた母の訓言を生涯の心の支えとした人もある。誠に心は思いようで、あらゆることが拝まれる裡(うち)の日々でありたい。

法話675挿絵

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