法話669

お念仏で悟りの境地

春江町千歩寺・順教寺前住職 中臣徳恵

転の妙趣

仏教の目的の第一は、「転迷開悟(てんめいかいご)」と申して、迷いを転じて、悟りへと、作り替えるのであります。このことは、容易なことではありません。故に何とかして悟ろうと、あらゆる難行、苦行を仏の教えられた通り、修行するのが自力聖道(しょうどう)の建前であります。
ところが、一方、他力浄土の教えは、絶対他力の本願力から回向されるお念仏によって、最もやすく、早く、間違いなく、悟りの世界へ到達出来るのであります。
親鸞聖人は「円融至徳(えんゆうしとく)の嘉号は悪を転じて徳となす」とも、「弥陀智願の広海は、凡夫善悪の心水も、帰入しぬればすなわちに、大悲心とぞ転ずなる」と讃仰せられました。
柿のしぶは、取り除いてからでなく、そのまま太陽の光と熱とによって、甘くなります。元福井西別院の渡辺ご輪番が、「弥陀は六字にすがたをかえて、私の心に入り給う。腹立つ山も涙の谷もみ親に抱かれ明るくこえる。十人十色で、私どもは人それぞれに違った悩みや、問題をかかえている現代人の立場に『わかるよ、わかるよ』と仰せられて、その心を転じかえて解放させて下さるのが、ご本願名号のお六字だと教えていただきました」と申されたことがあります。まことに私どもの煩悩のままを転じかえ、作りかえて、悟りの境地へとお念仏は動いて下さるのであります。

法話669挿絵

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