法話651

路肩のポールに感謝

芦原町轟木・浄光寺前住職 高木昭州

雪道に聞く㊤

私は坂井郡の田んぼの真ん中に住まいする者ですが、今年の雪には、ほとほと困らされました。街に住む方はあまりご経験がないかもしれませんが、車を運転なさる方だったら、どなたでも一度や二度は、そんな事に出会われたことと思います。
それは吹雪の雪道です。いったん吹雪に出会いますと、本当に白一色です。先が全く見えなくなってしまい、どこが道やら、どこが田んぼやら、全く見境がつかなくなり、自分で運転していながらどこをどう走っているのか、やがて道をはずして田んぼに落ちるのではないかと本当に不安にかられ、止まってしまうことだってしばしばです。
そんな時、路肩を示す赤白のポールが目に入りますと、どんなに勇気づけられることか。これで大丈夫なんだ、これで道の真ん中を走っているんだと、次のポールをめやすに走ったことか。
雪のない天気の良い時などは、目にも止まらないポールです。例え、見えたとしても何のためにあんなものが立ててあるんだろうかとすら思いましたが、いったん事あると、本当に頼りになるのです。それは頼りになるはずです。ただ漠然と立てたポールではないのです。吹雪を予側して吹雪になる以前から準備し、道に沿って立てて下さったからです。準備して下さった方に頭の下がる思いがしました。ではまた。

道に則った教え切望

芦原町轟木・浄光寺前住職 高木昭州

雪道に聞く㊦

法話651挿絵

吹雪の中で路肩を示す赤白のポールは、本当に頼りになりました。雪のない晴天の時などは、全くその存在すら感じません。むしろ邪魔だとすら思うことだってあるんです。それが吹雪に出会うと、はじめてその貴さを感ずるのです。ポールを立てて下さってありがたいとすら感ずるのです。
ちょうど私たちの人生の道ゆきも、このように思われてなりません。平穏無事な順風満帆の人生航路には、ポールはちょうど晴天の路肩を示すポールのようなものかもしれませんが、しかし、人生航路はそうは問屋は卸してくれません。一天にわかにかき曇り、一寸先の見えないことだってあるんです。いやいや、人生ばっかりは曇らなくても、先の見えないのが常でございます。
そんな時、道をはずさない路肩を表示するポールを持てるのが、犬や猫を超えた人間の特権かもしれません。いい加減に立てられたポールでは意味がありません。真実に道に沿ったポールであってこそ闊(かつ)歩が出来るのです。われらの人生には法に則(のっと)った道を示すポールが必要です。吹雪の中でお釈迦様の教法不而(じ)と言うお言葉を思い出し、世にいろいろの教えはあっても、その教えが本当の「道に則った」「法に則った」ものでなくては、それは教えではないのですと言う、お釈迦様のお心を味わったことでした。ではまた。

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