法話630

過去学び今を生かす

坂井町御油田・演仙寺住職 多田文樹

「宿命通の誓い」

私たちがお浄土に生まれて、仏さまとして活動させていただくためにはそれ相当の能力が身に付かなければ、仏さまとは言えません。
阿弥陀仏が誓われた第五願は、次のようなものです。「もしわたしが阿弥陀仏になる時、お浄土に生まれた人々が、宿命通を得ず、限りない過去世のことまで、自在に知り尽くすことができぬようなら、わたしは決して阿弥陀仏とはなりません」。
宿命通というのは、過去世のことを知る能力です。仏さまとして、人を救うという働きをするためには、相手の現在の状態のみならず、過去世のことまで知らなければ、救い遂げることができないのでありましょう。
過去世とは、前世ともいい、前世で善き行いをした者は、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天のうち、よりよき所へ生まれるのだと、こうなっているのであります。
例えば、私たちが今、人間界に生を受けたということは、前世の業がよかったのでありましょう。人間に生まれたということは、仏法を聴くことができる境涯ですから、仏になる可能性を秘めているという意味で、大変喜ばしいことであります。
さて、この宿命通がお浄土に生まれ、仏となった時、初めて得られる能力であるということは、考えてみれば、都合のよいことだと思うのですが、いかがでしょうか。もし、凡夫の身で自分や他人の前世がわかり、例えば自分の前世はぶただったというようなことになったら、とても恥ずかしくて、往来を歩けるものではありません。それに、日々新たなりの気概で、前向きに努力することも、できなくなるでしょう。

法話630挿絵

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