法話626

欲望にも「善」と「悪」

坂井町御油田・演仙寺住職 多田文樹

幸福を妨げるもの②

前回は、煩悩のいろいろについて、羅列して説明しましたが、その中でも貧(とん)、すなわち、自分が欲しいものをむさぽり求める心は、煩悩の中でも代表的なものです。
この貧欲は、具体的な対象を得たときに働き出すものですから、物の無い時代には、それなりに満足していられたのですが、昨今の、ものが有り余る時代には、かえって不満感が募るようです。
無理な借金を抱え込んで、破たんに追い込まれるのも、道にはずれたお金に手を出して、一生を棒にふるのも、皆、この貧欲によるものでありましょう。
しかし、ここで一つ疑問を呈したいと思います。それは何かを手に入れるために、一生懸命に働き、それが生きがいにもなっている場合があるのに、仏教では、そういう欲望まで否定するのかと。
それで、欲望について、もう少し調べてみましょう。欲には、善と悪と無記(善悪どちらでもない)の三種あると、いわれています。ですから、欲には、善玉も悪玉もあるということですね。
「欲がなくなったら、人間終わりだね」と言われるように、善玉の欲なら、人間が生きる原動力として、欠かせないものかもしれません。そして、悪玉の方を貧欲というのです。他に迷惑を与え、わが身を苦しめるからであります。

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