法話619

救いへ何事も見通す

坂井町御油田・演仙寺住職 多田文樹

仏の目

私たちがお浄土に生まれて、仏さまとして活動させて頂くためには、それ相当の能力が備わらなければ、仏さまとはいえません。
阿弥陀仏が誓われた、第六願は次のようなものです。
「もし、わたしが阿弥陀仏になるとき、お浄土に生まれた人々が天眼通を得ず、数限りない国々を、自在に見通すことができぬようなら、わたしは決して阿弥陀仏とはなりません」
天眼通というのは、どんな遠い所の出来事も、また、どんなささいなことでも、目の当たりに見え、あるいは、ものの陰となっていても、見通せる能力です。仏さまとして、人を救うという働きをするためには、やはり必要欠くべからざる能力といわねばなりません。
ところで私の姿は、仏の目にはどのように映るのでしょうか。
「おまえの苦悩はわたしの苦悩、お前の安楽はわたしの安楽」と、しばらくの間も捨て離れることなく、見守り、育て、救い取って下さる仏の目からみれば、私の姿は、仏を泣かせずくめのありようしかなかったと、頂かれるのであります。
しかし、同時に仏の目は、私の不徳を暴く目ではなく、世間はどうあれ、最後まで私を理解し、私を認めようとして下さる目でありました。

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