法話611

助け合い温かい社会

福井市上莇生田町・安楽寺住職 佐々木俊雄

敬愛

歎異抄の一節に「十余箇国の境を越えて、尋ねしめ給ふ御こころざし、ひとへに往生極楽の道を問ひ聞かんがためなり。然るに、念仏より他に往生の道を存知し、また法文等をも知りたるらんと、こころにくゝ思召して在(おわ)しましてはんべらんは、大きなる誤りなり」というご文があります。
それは、よき人の仰せを被って信ずるよりほかに、別の子細がないことを示されているわけですが、この文には「尋ねしめ給ふ御こころざし」とか「思召して在します」というふうに、多く敬語が使われています。これは、弟子一人も持たずとされる聖人の態度からにじみ出るものでありまして、弟子のことばにいちいち敬語がつけられているところに感動をうけます。
それは、一人一人の人間は、すべて仏によって願われ、仏によって救われていくものと敬愛の念を払われているからであります。
「こりゃ、何かせねばならぬわい」という境地は、一人一人の人間の尊厳さが、はっきりみえる境地でありましょうか。「このいのち尊し」ということばがありますが、人間は決して一本の物差しで測ることはできないのでありまして、一人一人を大切にし、互いに敬い、助け合うという温かい人間関係があってこそ、やがて温かい社会がかもし出されるはずなのであります。

法話611挿絵

法話610 トップ 法話612