法話585

苦労を鼻にかけるな

福井市太田町・平乗寺住職 神埜慧淳

大みそか

大みそかになりますと、民放各局のテレビ放送をしのいで、紅白歌合戦がクローズアップされるのであります。紅白歌合戦が終わりますと、各地の除夜の鐘が紹介され、そこであくる年を迎えるのであります。続いて初詣(もうで)の光景が紹介されるのはいうまでもありません。
日本の風習では、年篭(ごもり)と称して、大みそかの夜は寝ないで夜を明かすのであります。それは、静かに慎み深く、一年の反省に夜を過ごすのであります。大みそかの晩に寝ると白髪になるとか、しわが増えるという禁忌が語り伝えられているのは、先祖からの戒めでありましょう。
必ずしも、騒がしく時を過ごす、ただ寝ないでいるということだけではないのであります。俳句の季題に年守るとあるのも面白いことだと思います。この一年悲しいことも、苦しいこともありました。悲喜こもごもの一年間でありましたが、それらはみんな消えて、ただ欲望だけがキラキラと目覚めているというのでは、まことに悲しくもお粗末なことであります。
悲しみも、苦しみも、喜びも、それらが肥やしとなり新しい芽が育つのであります。煩悩が肥やしになって気付かせて頂き、罪悪に泣いて、いよいよお慈悲をよりどころとさせて頂くのであります。「如来わが往生をさだめたまいし」とは蓮如上人のお言葉であります。過ごし日々と、明くる日に除夜の鐘が響くことでありましょう。

法話585挿絵

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