法話571

お念仏はともしび

東京・本願寺派布教使 上西孝岳

おじいちゃん いつまで生きるの

ある日、孫が私に尋ねました。おじいちゃんいつまで生きるの。一瞬とまどった私は「さあ、死ぬまで生きるのや」と答えると、すかさずそんならいつ死ぬのやと問い返してきた。私はつい声を荒らげて「そんなこと分からへん」と答えると、孫は「おじいちゃん、死んだらどこに行くのや」と言い返された。
考えてみると、一体いつまで生きていられるのか。死んだらどこに行くのか。一番大事なことを忘れ、ただ忙しい忙しいの日暮らしを続けている私たちではないでしょうか。親鸞聖人の御和讃に、
「無明長夜ノ燈炬ナリ智眼クラシトカナシムナ生死大海ノ船筏ナリ罪障ヲモシトナゲカザレ」
人生は常に希望という灯をかざし、その希望のともしびをいつか消えることを予期せずに、日々を暮らし続けているのではないでしょうか。しかし、いつまでそのともしびがともり続けていることやら。
お釈迦さまは世のすべての者は「諸行無常」と仰せになっておられます。希望のともしびは一つ消え、二つ消え、気のついた時には、人生は暗黒なり、と悔やむ私たちではないでしょうか。しかしその暗やみの中にお念仏のともしびだけが、私たちの足元を照らし続けておって下さる事を忘れてはなりません。親鸞聖人の御和讃をもう一度味わってみましょう。
「無明長夜ノ燈炬ナリ智眼クラシトカナシムナ生死大海ノ船筏ナリ罪障ヲモシトナゲカザレ」
阿弥陀仏は常に念仏のともしびをかざされ、私のいくべき道を示されておって下さいます。

法話571挿絵

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