法話567

真実の人間生活へ誘導

京都・本順寺布教使 西田昭教

無碍光如来とは

初対面の人から名刺を項いて、後日それを拝見する時、ハテ、この方は一体どんな方であったかと、思い出せない場合があります。そのような名刺には、お名前と住所、電話しか書いてありません。この名刺にその方の肩書がお勤め先でも記されてありますと、その方がどんな役職の方か、何をされているのか、すぐに思い出せる事がよくあります。
いま無碍光如来というのは、阿弥陀仏の肩書のようなものと思って頂いたら結構です。南無阿弥陀仏という如来様のお仕事には限りはありませんが、大無量寿経には十二通りのお仕事を示されてあります。これを十二光といって十二の光明に示され、その内の一つが無碍光如来という働きなのです。この働きとは、阿弥陀仏はどんな障害にも妨げられることなく、今ここの私に、私を離れては今もここもありません。その私に働きかけ、しかも中止する事なく、私の抱えている悪業煩悩の起こる原因である、自己中心の人間生活そのものに、真実の生きざまを与えて下さる働きなのです。
この事を親鸞聖人は
「阿弥陀仏ハ智慧ノヒカリニテオハシマスナリ。コノヒカリヲ無碍光仏トマフスナリ。無碍光トマフスユエハ、十方一切有情ノ悪業煩悩ノココロニサエラレズ、ヘダテナキユエニ無碍トハマウス也」とお示し下さつてあります。

法話567挿絵

法話566 トップ 法話568