法話535

逆境でも己見失わず

福井市松本四丁目・千福寺副住職 高務哲量

花まつり(二)

釈尊はお生まれになった直後、天地を指差して「天上天下唯我独尊、三界皆苦我当安之」と宣言されたと仏伝は伝えます。我れは宇宙の中で真に自己の尊厳さに目覚めた者である。生きとし生けるものの世界は苦悩に満ち満ちておるが故に、我れは覚者として、これらの悩めるものの心を安んじてゆこうという意味でありましょう。
唯我独尊というと、自分一人が偉くて、他の人のことが眼中にないような人を指して、あの人は唯我独尊だなどの誤った使い方をする人があります。釈尊のお心は、決してそうではありません。
自己の生命の尊厳性に目覚めた者という意味からすれば、だれもが尊いかけがえのない生を生きているのですから、私たち一人一人も唯我独尊でありましょう。とはいえ、私たちは真に自己の値打ちを掛け値なくわきまえているのでしょうか。命の尊さはだれしも口にします。しかし、ひと度、逆境に陥った時、死の誘惑の声が聞こえてきます。
逆境とは、人間関係や経済的な悩み、あるいは健康を損ねた時などさまざまな苦しみの種が私に襲いかかってきた状態です。こんな辛い思いをするくらいなら、死んだ方が楽だとかこんな人生、生きたところでどんな意味があるのだろう、という思いにかられたことはありませんか。
釈尊の仏法に聴き触れるとは掛け値ない自己の真の値打ちを知らされることです。順境にあっておごらず、逆境にあって自己を見失わない人こそ、真の自己の尊厳性に目覚めた人と言えるでしょう。

法話535挿絵

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