法話474

真実を味わう人生(むなしい煩悩の明け暮れ)

鯖江市戸口町・乗誓寺住職 鎌数静雄

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中国の言葉に「虚往実帰」と言う言葉があります。私はこの言葉が、いろいろな意味で大変役立っています。例えば、最近は何かと会合が多く、どうしても行きたくない日もありがちですが、そういう時にこそこの言葉を思い出し、出かけることにしています。
「よし今日も何かを学んで帰ろう」と思い、出かけますと案外、足も軽く、また帰る時にも「ああ来てよかった」と、何かを学び喜んで帰ることが度々あります。
そういう意味からこの言葉を申しますと「虚往」とは、いやいや行くという意味になり、「実帰」とは、私なりに何かを学んで帰るという意味になるのであります。
またこんな意味でも、この言葉をいただいています。大切な人生をむなしく終わらず、真実に抱かれて帰っていくという受け取り方であります。
私の上で申しますと、真実とは、み仏様にお会い出来たことであります。生まれ難い人間に生まれさせていただきましたのに、明けても暮れても、ただ煩悩の満足で終わってゆく世界には、いつもいつも、不安とむなしさが漂うばかりであります。
こうした人生のただ中に、み仏様が来ていて下さいました。このみ仏様の真実を味わいながら、力いっぱい生き続け、やがて、み仏様のみ国へ、み仏様と帰らせていただく幸せな私でしたと、この言葉をいただいて喜んでいるのであります。

法話474挿絵

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