法話414

たたり恐れぬ仏教(救いの宗教へ大きな変換)

坂井町御油田・演仙寺住職 多田文樹

バチはあたるか?

子供のころ「そんなことすると、罰(ばち)があたるよ」と、よく言われたものです。神や仏を何とも思わなくても「バチがあたるよ」と言われると、妙に効きめがあったようです。
それと同じような言葉に「崇(たた)る」があります。国語辞典をひくと「神仏や怨霊(おんりょう)が災いをすること」と書かれてあります。それでは、神仏や霊魂は本当に災いをもたらすのでしょうか。
かつては、そう信じられた時代がありました。そして仏教も、恐れを抱かせる方に一役買っていたのですが、しかし、鎌倉時代になると、真の仏教を求める運動が盛んとなり、特に親鸞聖人によって、災いをもたらす鬼神や、魔界は退けられました。言わば、恐れの宗教から救いの宗教へと、大きな変換を迎えたのであります。
「念仏者は無碍の一道なり」とは、まさしく、不可解な神仏や霊魂に支配されていた人々の心を、恐れから解き放ち、弱き者こそ守られるべきものとして、人間の命を蘇(よみが)えらせたものと言えましょう。
ですから、現代に生きる私たちとしては、もし仏教によるならば、神仏や霊魂の崇りを恐れる必要は全くないのです。
次にあげますご和讃は、このことを高らかに歌いあげています。
天神地祇(ちぎ)はことごとく
善鬼神となづけたり
これらの善神みなともに
念仏のひとをまもるなり

法話414挿絵

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