法話370

正信偈講話から(有無への邪見破る)

大阪・行信教校校長 利井興弘

正信偈講話を続けましょう。きょうのところは「ことごとく有無の見を破す」これは、どういうお言葉かと申しますと、ご和讃の中では「有無の邪見破すべし。」これは、有の見、無の見ということでございまして、言葉で申しますれば、あるということに執着いたしますと、まちがいが出てまいりますし、こんどはまた、無いんだというと、また無いにひとつ邪見が着きます。
そこで等われわれの世界には、この、あるといっている人、言葉をかえれば、人間は、死んだらまた人間に生まれてくるのだと有の見にきばる人もおりますれば、また、無の見と申しまして、死んだら終わりではないかという人もおります。
このふたつの見解を、破って、有無の邪見を破るところの根本をなしているところのものは、有と執じても、無と執じてもいけない。すべてのものは縁起、縁によってからに生かされる。言葉をかえれば、無関係なものはない。という私たちの生き方それじたいが移動しているところのものでございまして、その移動を固定したならば、そこにまちがいが出来る、これが、有の見、無の見ということでございます。

法話370挿絵

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