法話350

お念仏の救い

福井市松本三丁目・興宗寺住職・聖徳幼稚園長 北條紘文

こんにちは、はじめまして。実は、私の心は病んでいます。とても苦しくて「果たして持つだろうか、もうダメかもしれない」と思うこともしばしばです。
しかし、私には、一つの救いがあります。それは、お念仏申させていただくことです。「自分の悩みはあまりに特殊であり複雑だ。だからだれにも理解されないし、八方ふさがりだ」と思っておっても、やはり、自分みずからが悩みをつくり、道を閉ざしてしまっている面があるのではないでしょうか。
お釈迦様は「人生は苦なり。そして、苦を呼び集めるもとは、人間の煩悩である」と仰せられています。「煩悩」とは、言い換えれば、ものごとに執着する私たちの心です。
ちょつと苦労すれば、それを他人に認めさせたい。悲しいことにでおうても、自分にかかわりがなければ、ほっとする。自分の仕事と真っ正面に立ち向かっていればよいのに、まわりの楽しみが気になって集中できない。これらを見れば、私たちの我執、煩悩というものが、いかに根深いものであるかがうかがわれるのではないでしょうか。
お念仏とは、そのような煩悩のはざまにうごめく私たちの心に、捨ててはおけぬと飛び込んで下さる真実の世界からのお働きであります。み仏の慈悲が私に通うてきた姿であります。お念仏申させていただくそのままに、私のありのままの姿が知らされ、そうであったなあー。苦しみから逃れたい逃れたいとの私の心を、じっと抱きしめて下さる、温かい胸のあったことを、知らせていただくのであります。

法話350挿絵

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