法話345

「南無…」はお慈悲(時の流れ聞く心養おう)

敦賀市元町・浄蓮寺住職 龍渓玄真

聞こえてきて下さるお呼び声

「手ですくった砂がやせ細った指のすきまをもれるように、時間がざらざらと私からこぼれる。残りすくない大事な時間が…時間の洩(も)れる音だけが、いそがしく聞こえてくる」
ガンになって、自分の死をみつめながら書いた高見順の詩の一節です。
時は静かに流れています。その流れを聞く静かな心を、私たちも養いたいものですね。
騒音に悩まされる生活の中に、時の移りゆくことを忘れて、忙しい、忙しいと明け暮れしている私の日々です。古歌に「いつまでか明けぬ暮れぬと営まん身は限りあり事はつきせず」とあるように、繰り返しのない日々を、うかうかと過ごしている自分が悔まれます。
釈尊は「人命は、呼吸の間にある」と教えられました。道元禅師も「この一日は、惜しむべき重宝なり」「ただ今日今時ばかりと思うて、時光をうしなわず、学道に心をいるべきなり」とお示しになりました。
しっかりと立ち止まって、時の流れを聞きましょう。そして静かに阿弥陀如来の本願の呼び声に耳を傾けましょう。無量寿の如来さまが、久遠の昔から、私に呼びかけていて下さった南無阿弥陀仏の呼び声は、私が聞くのではなく、聞こえて来て下さるのです。
「きこえさせて下さるお慈悲が南無阿弥陀仏」と才市さんはよろこんでいます。

法話345挿絵

法話344 トップ 法話346