法話340

人生の意味再考を(生命のはかなさにめざめ)

敦賀市元町・浄蓮寺住職 龍渓玄真

生きるとは

スカンジナビアの古い伝説に、冬の夜ふけに小鳥が吹雪のやみの中から飛んで来て、明るい部屋にはいり、またすぐにその部屋を飛びぬけて、再び吹雪のやみの中に消えて行く、という話があります。
ちょうど人間の一生は、この小鳥のようにやみからやみへ、生のきたるところを知らず、死の逝(ゆ)くところを知らず、こつこつとして夢、幻のごとく過ぎ行くものではないでしょうか。しかも、その小鳥とは正しくこの私自身のことであり、他のだれにもこの私の生死を代わってもらうことはできないのです。
この事実に気づく時、自分の生命のはかなさにめざめると同時に、だれにも代わってもらえないはかない生死を生きてゆかねばならない自分とは、一体何であるのか、またいかに生きてゆくことが、はかなさを超えて真に幸福で明るい、もっとも人間らしい人生なのか、という問題にぶつかります。
つまり、まじめな人生を生きようと思う時、必ず人生の意味、自己の意味、生きるということの意味を間わざるをえなくなってくるのです。
私たちは、人間が生きる、私が生きるということをわかり切ったものとしてすませてしまっていますが、もう一度「生きる」ということについて、じっくりと考え直してみたいものです。

法話340挿絵

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