法話329

健康のありがたさ

大野市伏石・常興寺住職 巌教也

あるお寺の掲示板で、私はこんな言葉に出合いました。それは…、
「手術前には手を消毒する流しの前に、必ず鏡がある。
その鏡は、外科医が自分の心を照らして見るためにあるという」と。
× × ×
「健康な人は自分の健康に気がつかない。病人だけは、健康のありがたさを知っている」といったのは、イギリスの思想家、トマス・カーライルですが、世の中がどんなに変わろうとも「医は仁術」という昔からのことわざから、全力をあげて病気と取り組んで下さるお医者さんを、どこまでも信頼しなければならないと思います。
あるお医者さんが、こんな言葉をおっしゃって下さいました。それは「寿命は仏さまにお任せし 病気は医者に任せ 看病は家の人にお任せすれば あなたはなんの計らいも心配もいらないわけです」と。
そこに私は、ありがたい仏さまの教えの鏡と、お医者さんご自身の、尊い心の鏡を見せていただきました。
法話329挿絵

旅の峠とは

大野市伏石・常輿寺住職 巌教也

あるお寺の掲示板で、私はこんな言葉に出合いました。それは…
「一生は旅の山路と思うべし平地はすこし峠たくさん」
× × ×
「峠」という字は、日本製漢字であります。山と上下を組み合わせて、写実的な素晴らしい表現の文字であると思います。
昔は、峠を越えることは、そのまま隣国へ行く最短距離であり、未知の外国旅行への唯一の道路だったのでありましょう。
そんな峠を、人生という名の旅に位置づけてこそ「苦労の峠を越したと思や、またも泣かせる谷がある」という歌も生まれたのでありましょう。
私も何度か奥越の油坂峠、桃木峠、寺月峠、小豆坂峠を越えましたが、雪の峠が一番思い出に残っています。
ある詩人は歌いました。「越え越えた、峠はいくつになったやら。あとはひとつ、娑婆(しゃば)峠越えるだけ」と。
その娑婆というインドの古い言葉は、いろんな事の起こる人間世界という意味であるとともに、私たちの越えていかねばならない一生の旅において「遇うだけのことに、遇わんならん」という、真実の意味する言葉でありました。
だからこそ「わがままや気ままが通るものならば、この世の中を娑婆というまじ」の歌も生まれたのでありましょう。

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