法話328

やわらかな心

大野市伏石・常興寺住職 巌教也

あるお寺の掲示板で、私はこんな言葉に出あいました。それは、
「セトモノとセトモノと ぶつかりっこすると すぐこわれちゃう どっちかやわらかければ だいじょうぶ やわらかいこころを 持ちましょう」と。
私も近ごろ歯が悪くなって、町の歯医者さんに通っているのですが、硬いはずの歯がポロリと欠け落ち、やわらかい舌が、いつまでもペラペラと、丈夫であることに苦笑しました。
ところでおシャカさまはいつも「身も心もやわらかく…」ということを、教えて下さいました。そのやわらかみの代表が、大陽の光であり、空気であり、水であるように思います。どれもみんな、人間が生きるために大切なものばかりであります。そしてどれもみんな、人間の作ったものではありません。たとえば、その中のやわらかい水が、また一番強い力をもっていることは、不思議にさえ感じます。
現代の念仏者としてしたわれ、九十余歳で亡くなられた教育家の甲斐和里子先生は「岩もあり木の根もあれどさらさらと たださらさらと水の流るる」と歌われました。
法話328挿絵

北国の雪

大野市伏石・常興寺住職 巌教也

あるお寺の掲示板で、私はこんな言葉に出合いました。それは…。
「生者必滅これ見て知れと 教え顔になる雪だるま」

雪国に住む者にとっては、せめて太平洋側なみの暮らしをという、せつない願望を毎年思うことでありますが、そんな日本の国土の面積の半分を占め、ひと冬に統計によれば、九百億トンもの雪の量が降る下に、二千万もの人口が住んでいるということを、はじめて聞きました。
「雪は地球のおしろいであり、白い毛布である。天から贈られた毛布である」という言葉は、雪博士の中谷宇吉郎先生でありますが、どっこい、現代川柳では
「見せる雪 遊ばせる雪 泣かす雪」と、現実の視線は甘いものではございません。
そんな雪に耐えて、ものを思索するところに、雪国ならではの春を待つ心の、精神生活をはぐくむものではないでしょうか。ちょうど先の掲示板の歌のように…。
つまり「悟りや此の世は一切空と、解けて跡ない雪だるま」であるとは、頭では分かっていても、心のどこかで、一茶の「露の世は露の世ながらさりながら」の句の中の「さりながら」の思いにこそ、二二が四、三三が九とは割り切れない、雪のような人生の重たさを味わうのでございます。

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