法話325

迷いを迷いと知れ(ありのままがさとりの道)

大野市伏石・常興寺住職 巌教也

青い鳥

あるお寺の掲示板で、私はこんな言葉に出あいました。それは…
「極楽は、十万億土のかなたに-あるという それは距離の長さではなく 幸福を遠い所に求める 迷いの深さのことです」と。
チルチル・ミチルという二人の子供が、幸福という名の青い鳥を求めて、長い旅をつづけましたが、さがしあぐねて、自分たちの家に帰りついた時、カゴの中にその、青い鳥を見つけたという、ベルギーの作家・メーテルリンクの童話は有名です。
日本の古い歌にも、
「咲イタ咲イタニツイウカサレテ、花ヲタズネテ西マタ東、ワラジ切ラシテ帰ッテ見レバ、家ジャ梅メガ笑ウテイヤル」というのがございますが…。
明治の初めごろ、大阪の近くの堺の町に住んでいた、妙好人の吉兵衛という方は、
「迷う道は広いが助かる道は唯の一筋よりないのや」
と、口ぐせのように言っていられたということです。
実はこの私が、迷いを迷いと、仏さまの教えの鏡に照らされて、初めて知らされたことのありのままが、実はたった一筋より外にない、さとりの道であり、仏さまの知恵と慈悲の心が一つになったナムアミダ仏が、この私に仏さまの働きかけによって、至りとどいて下さった、信心のまことでございました。

法話325挿絵

老人問題

大野市伏石・常興寺住職 巌教也

あるお寺の掲示板で、私はこんな言葉に出合いました。それは…
「絹の夜具よりやさしい言葉かけりゃ喜ぶ老いの身は」
× × ×
老人問題がいよいよ深刻になってまいりました。今、日本中を深く静かに流れているものに「ポックリ死にたい」の願望があるように思われます。
でも裏返して言えば「長生きはしたいが、年はとりたくない」という発想から、現代川柳の「ポックリ死願うがすぐならお断り」という、裏表の思考法かもしれません。
なぜなら人間はだれでも、死のかたちを選べないように、老いのかたちも選ぶことができないのですから。
お釈迦さまは人間の苦悩のかたちを、生・老・病・死と示されました。つまり医学的な身体を持った人間を、心の問題としてとらえられ、そのすべてを、さけられない人生の与えられるものとして、受け取られたのでありましたから。
やがておとずれる二十一世紀は「科学の時代」から「人間の時代」と呼ばれるものになってほしいと、全人類は願っているからです。
大昔、あのハチュウ類が滅亡したように、人類もまた全滅する可能性を十分にもっているからであります。
老いの生き方は人それぞれの問題です。ある医学者は「年をとるにはコツはいらないが、年寄りでいるということにはコツがいる」「自分はこれでゆこうという歩むべースを、自分自身で決めなくてはならない」と忠告していますが、その意味は深いと思われます。

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