法話324

「縁」の心を大切に(固いきずなの親子、夫婦)

大野市伏石・常興寺住職 巌教也

二人三脚

あるお寺の掲示板で、私はこんな言葉に出あいました。それは…
『親子をつなぐ糸 夫婦をつなぐ糸ほど 強いものはないというが 引っぱり合うとすぐ切れてしまう』と。
家庭内暴力とか、蒸発とかいった言葉が、いつのまにか定着してしまった、近ごろの世の中です。
親子も夫婦も、運動会の綱引き競争ではないのであって、やっぱり二人三脚のマラソンであった方が、どんなにかあたたかい心を感ずるのではないでしょうか。それこそ不思議な縁でむすばれた親子であり夫婦なのでありますから。
昔は三分間人と会話すると、きまって日常語にとけこんだ仏教の言葉が出て来たものですが、近ごろは、英語の方にグーンと差をつけられたようです。
でも仏教の言葉が、私たち日本人の生活に最後まで残るものは、きっと「縁談」という言葉だと思います。「ご縁のことですから」とか「良縁にめぐまれまして」とか、そこに目に見えない縁(えにし)の糸の、不思議なつながりをしみじみと思う時、この「縁」という仏教の言葉の意味を、もっと私たちは、かみしめて味わわなければならないと思います。

法話324挿絵

花と月

大野市伏石・常興寺住職 巌教也

あるお寺の掲示板で、私はこんな言葉に出合いました。それは…
「桜咲く桜の山の桜 花咲く桜あり 散る桜あり」
× × ×
梅はこぼれる、桜は散る、牡丹(ぼたん)はくずれる、椿(つばき)は落ちると、落花の日本語の表現はデリケートです。その桜は日本の代表の花です。松尾芭蕉は「さまざまなことを思い出す桜かな」の句を残しましたが、どんな俳句の下の句になる「根岸の里のわび住い」とか「朝の女の薄化粧」にしても、面白言葉遊びです。
先の掲示板の桜の重ね言葉の歌と並んで有名なのは「月月に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月」の中秋の名月です。
ある童話作家の「月を人類の墓場にしたら」という作品を読みましたが、世界中のどこからでも仰ぎ拝むことのできる月世界こそ、全人類の心の故郷にふさわしいと思います。
桜と月の歌から「たのしみは春の桜に秋の月 夫婦仲良く三度食う飯」と平和な風景を思い、色とりどりの人生の四季を、私たちはどうすれば、春に春の花を、夏には夏の花を、秋には秋の花を、冬には冬の花を、私たち一人ひとりの心に咲かせることができるかということを、もう一度、私自身に問うてみなければならないと思いました。

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