法話317

真実との出会い(二)

坂井町御油田・演仙寺副住職 多田文樹

私たちはよく、恩着せがましく「だれだれのために何々してあげた」ということがあります。そんな時の気持ちを分析してみると「本心とは違うけれど、自分に余力があったので、かわいそうだと思って」というような、いろいろな条件が付いています。自分に余裕がなく、相手が憎たらしければ、とても助ける気にはなりません。
それに比べ、法蔵菩薩の願いは、純粋に「私のために」かけられた願いです。「もし私を救うことができなければ、法蔵自らも阿弥陀仏にはなるまい」。私を救うことに、法蔵菩薩の命がかけられている。つまり、無条件の救いなのです。

法話317挿絵

私は、何に頭を下げられるかといえば、まず阿弥陀仏に頭が下がります。そこに真実(まこと)があるからです。真実とは、ありのままということですが、私たちにとっては、とても救われ難い行為を繰り返しているのが、ありのままの姿であり、阿弥陀仏にとっては、救い難い私をこそほっておけないのが、仏の真実なのです。

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