法話314

如来さまがぶつかってくださる

大野市御給・専福寺住職 関哲樹

「お寺参りは味まいり、南無阿弥陀仏の味をもろうて」。才一さんのうたです。私たちは味気のない人生をおくるのではなくて、味のある人生を生きる力をいだくのです。それこそ仏法を聞かせていただいて、南無阿弥陀仏の味をちょうだいするのです。
南無阿弥陀仏は、いつでも、どこでも、この私に働きずめで活動していて下さるのです。私が道理をわきまえずにわがままいって愚痴をこぽしている時も、一人で寂しいむなしい思いをしている時も、私の心の底まで見ぬいていて下さる真実の智恵と慈悲とがとどいていて下さるのです。
「才一がうろうろしていると、おい才一よ、おい才一よと如来さまがぶつかってくださる」と才一さんは自分のからだをとおして味わっておられます。親鸞聖人は「南無の言は帰令なり帰の言は至るなり」とお示しくださいました。「至るなり」は二つの味わいがあろうかと思います。一つには如来さまのまことが私の胸に至りとどいて下さっているということです。もう一つは迷っている私に「ここに至れよ」とおおせであり、離れているものに「帰れよ」の親心であります。

法話314挿絵

この私が至りとどく先、すなわち帰る親里はお浄土であります。よくよく味わわせていただきましょう。

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