法話302

人間とは弱い存在(自然に念仏に眼閉じよう)

美山瀬ケ口・正玄寺住職 岩見紀明

人の死(二)

私たちは常にいろいろな状況のうちに生きております。老い、病気、災害、そして死、こういう人生にどうしてもさけられない状況を哲学では限界状況と呼んでいます。なかでも「死」は、どうしても避けられない事実です。
しかしひとは「当分はやってこない」と思っています。しかし、それは思いであって事実とは違うものです。つまり、死はどの瞬間でも可能であるという確実性を「いつか」という「きめられない」ことと結びつけて「やってくることは間違いないが、まだ当分は」という言葉でにごしているにすぎないのです。こんな寓話(ぐうわ)を聞いたことがあります。
あるとき、ペルシャの金持ちが下男と共に歩いておると、突然、下男が震えだした。その理由は、たったのいま「死神」に出会ったというのです。そこで金持ちは、一番上等の馬を買って下男をテヘランまで逃がしてやったというのです。下男が去ったあと、今度は主人が死神に出会った。そこで金持ちは「お前はひどいやつだ、わしの下男をひどくおどろかしたそうだね」と言うと、逆に死神がびっくりして「おどろいたのは、こちらですよ。だって、わしと、あなたの下男は、今夜テヘランで会うことになっていたのに、まだ、こんなところにうろついているんですもの」と。

法話302挿絵

このテヘランの寓話は、死はどうしても逃れられぬものだということを教えています。哲学者、ヤスパースは「死を先どりする決意」ということをいっておりますが、死からの逃避ではなく、いま生きている現実「生」そのもののなかにはいりこむ無碍(むげ)なる道があるのです。それが念仏の道です。

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