法話245

形だけではだめ(清らかな慚愧のこころで)

永平寺町谷口・仏願寺住職 藤井尊乗

み仏はつねに

どこの家庭でも毎日仏様への礼拝は行われていることと思いますが、ただ形だけでなく、礼拝をするこころ、仏様のおこころなどをよく理解しておかれることが大切であります。
仏さまのお心とお働きを仏教では「冥(みょう)見」「冥慮」「冥加」「冥護」などといっています。冥とはカタアカリという意味で、一方よりは明るいが他面からは暗い状態をいうのであります。仏さまのさとりの側からは明らかなことでありながら、私たち迷いの側からは何もわからない状態を冥というのであります。
冥見(みょうけん)、仏はいつでもどこでも私のすべてを見抜いていられます。悲しい心、苦しい心、よい心、悪い心の中までもみんな知っていて下さいます。仏の目のとどかぬところはありません。だから一面から言えばうれしいことであり、一面から言えば恥ずかしいことであります。
冥慮(みょうりょ)、しかも仏はいつも私のことを心配していて下さいます。私が仏様のことを忘れていても仏様は苦しみ悩んでいる私のことを案じて忘れられることがありません。

法話245挿絵

冥加(みょうが)、仏はいつも温かい慈悲の言葉、確かな知恵の言葉をもって私をはげまし導いて下さいます。「心配するな、仏がそばについているよ」「いつでもどこでもまもっているよ。死のかなたまでも…」。
このみ仏の大慈悲心をいただき、安らかなよろこびときよらかな慚愧(ざんき)のこころから仏様を拝むのであります。

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