法話242

徳そなえた仏の名(仏を背する人生は孤独)

永平寺町谷口・仏願寺住職 藤井尊乗

南無阿弥陀仏とは

「仏さまにはなぜ南がないのですか。」驚いて尋ねかえしますと「南無阿弥陀仏というではありませんか」これはある壮年会での質問でありました。
信仰はともかく、これでは社会常識としてもどうかと思われます。そこで私は次のようにお答えいたしました。
南無阿弥陀仏とは仏さまのお名前です。しかし単なる名前ではなく、仏のお徳とお働きを包みこんでいるお名前であります。
阿弥陀仏とは光明無量、寿命無量の徳をそなえたまう仏ということで、仏はいつでもどこでも私を今心じ、そのお心に抱きしめて、無明煩悩に迷い続けている私を救うため、心をくだいていられるのであります。”目をさましなさい””心配せずに仏にまかせなさい””いつもおまえと共におりますよ”と、このようなよびかけが南無阿弥陀仏であります。仏の声に耳をふさぎ、仏を背する人生は暗く、孤独であります。仏は人生における究極のよりどころであります。

法話242挿絵

阿弥陀仏に帰依し、仰せに信順するのが浄土真宗の信仰であります。阿弥陀仏の真実に帰依した人の心には、いつでもどこでもみ仏が生きていられます。それは子供の心の中にはいつも親が生きているようなものです。み仏と共に生きる者にはけだかいよろこびがあります。そのよろこびの声がお念仏であります。しかも、仏のみ名をとなえることによって、いよいよ深くそのお心にふれる味わいがあるのであります。

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