法話229

本願信じつつ念仏(努力を重ねた親鸞聖人)

金津町桑原・専念寺住職 竹内善亮

如来の順い(一)

凡夫が仏になる教え、仏法さまとはこの一言につきる教えであります。浄土真宗では、往生浄土すなわち浄土にいって生まれさせていただき、もって仏にならせていただくという教えであります。結果として、生命の終わりにのぞんでそれが実現されるのでありますが、ただ今よりの一歩一歩の歩み、またやがて仏になるためのお浄土への道中であることを忘れてはなりません。
親鸞聖人はすでにご生前中、他の多くの方々からはもとより、数十年寝起きを共にされたお弟子さん方からさえも、このお方はただ人ではない、阿弥陀如来さまの生まれかわりとさえ思えるようなお方だとあおがれ続けてこられたという。そこには”あの世は仏さ まこの私はふところ手してこのまんま”といった姿は、片鱗(りん)だに見られない。
阿弥陀如来さまの限りのない願いのままに、人間ならざる生き方しかできない悪人なるこの身が、やがてもっとも素晴らしく美しい生き方のできる仏さまの身にならせていただけるという喜びにうちふるえられた親鸞聖人は、その大きな願いに身を粉にしても骨をくだきても答えざるをえなかったということでありましょう。すなわち阿弥陀如来さまが呼びかけられる悪人より、阿弥陀如来さまが願われるところの善人になるべく、それはそれは努力されたということでありましょう。

法話229挿絵

一息一息一足一足、阿弥陀如来さまの本願を信じ念仏をとなえつつ、ただ美しく生きる、そのこと一つのために努力されてゆかれた結果が、おそば近くのお方をして感動せしめずにはおかなかったということでありましょう。

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