法話227

宗教の使命(一)

金津町桑原・専念寺住職 竹内善亮

日本人の宗教心について少なからずの問題があることは、つねにいわれているところです。先ごろ全国紙の新聞に「宗教心と日本人」と題しての世論調査が掲載されていましたが、まさに宗教あって宗教なしといわれる平均的日本人の宗教心の現実がうきぼりにされていたようです。
要するに、ほとんどの日本人に「宗教とは何か」ということが明確に理解されていないばかりか、宗教の本質、とりもなおさず宗教というものが、この私にどうかかわるものであるかということがまるでわかっていないようであります。
他宗教や新所帯でないかぎりお仏壇の無い家庭は、まず無いでしょう。ところが、そこに育った若い方が、ややもすると相当の年齢に達した方にしてもわが家の宗旨を知らないどころか、無宗教者であることを大言してはばからない者さえある。
いったいお仏壇をお給仕されてきた方にとって、お仏壇とはなんだったのだろうか。またお宗旨とはなんだったのだろうか。まさに宗教不在の形だけの、単にご先祖をまつる道具としてだけのお仏壇であり、名前ばかりのお宗旨ではなかっただろうか。ずばりそうなら、次の世代にお宗旨名を知らないばかりか、無宗教者が育ったとしても不思議ではない。

法話227挿絵

「真の人間性を回復する道を見い出すことこそ宗教の使命であります」とは、西本願寺・新門主のおことばであります。すなわち、この私たちをより人間らしく育ててくださるものこそ宗教の果たすべき役割であり、仏になる教えとしての仏法はもとより、お仏壇も、お宗旨もまた、人間らしさをとりもどすためのものでなければならないということであります。

法話226 トップ 法話228