法話222

二法身をそなえる(「絶対」の意味持つ存在)

今立町定友・唯宝寺住職 藤下洸養

仏とは

仏とは「絶対」の意味をもった存在です。なぜかというと、われわれ人間の住むこの世は、すべてに他との関係において存在するという相対界でありますから、救済者である仏がこの相対の存在であっては、救われるもの(人間など)と同質となり、救済関係は成立しません。
仏が救済者としての資格を完全にそなえるためには、この相対者とは全く隔絶した「絶対」の意味を持たねばならぬのです。
それではこの絶対の存在とはどういう意味でしょうか。結論をいえば、絶対(仏)とは、相対を超えつつ、包むもの、の意でなければなりません。すなわち①相対界を超える面、②相対を包む面、の二つの矛盾した面を同時に持つということです。
なぜ仏がこのような両面を持たねばならぬのでしょうか。それはもし絶対が相対を超える一面だけの意でありますと、そこには①相対界を超える面②相対界の面、という相対する面が現出することとなるからです。
したがって親鸞聖人は、仏とは法性法身(ほっしょうほっしん)と方便法身の二つの法身を同時にそなえていると説かれたのです。

法話222挿絵

法性法身というのは、相対界を超える面で、われわれの五官でとらえられない、色もなし形もない真如(しんにょ)法性の仏の意味です。方便法身というのは、相対界に即する面で、法性がかたちをあらわし、われわれの五官でとらえられる面の仏の意です。私たちはこの方便法身をとおして法性法身を知るのです。
このように親鸞聖人は、仏とは法性法身と方便法身の二つの法身を同時にそなえるものであると示され、仏の絶対の意味を示されたのです。

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