法話216

雑草のささやき

福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾

庭へ出て草をとっておりまして、その雑草の中に白いかわいい花を見つけ、あれっと思いました。二㌢ばかりの背たけで、その先に二㍉程の白い花をつけております。
それは草むした日陰にある雑草とは申しましても、精いっぱいの力をもってけなげにも花をさかせているのであります。そして太陽に向かって生きようとしています。名も知らない雑草にも「ふと命尊し」というおしえが味わわれるのであります。
私たちは、楽しく見えても、何やかやと物事が多くなやみ多き人生の中で、そのきびしさの重みに、たえて生きる。そういう力は、雑草さえもけなげに生きているのだ、それならば与えられた私の命も尊いものだという、めざめを果たしてくれるようでもあります。
命はいうまでもなく、今生きて呼吸をしているこの体、肉体を器としていると思えます。ところが、決してそれだけのものではないのであります。今生きているというこの事実は、情けなくも「死」という事実の前には完全に消し去られてしまうのであります。

法話216挿絵

この限りある命が「仏さまのねがい」との出あいを果たしました時、それは、永遠のいのちの流れの中に包みこまれまして、きょうの一日が、浄土への道へと進んでいくのであります。小さい花を見つけまして、そんなことを思いました。

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