法話213

人々の幸せを願い(念仏を唱え浄土の道へ)

坂井町蔵垣内・勝林寺住職・吉崎別院副輪番 佐々木教應

仏の心(四)

最後に方便のお心をいただきましょう。正直を方と言い、己を外にするを便と言うと示されていますが、むつかしいことは省きましょう。一口で言いますと、自分の幸せは考えない。ただただ一切の人々の幸せを願って、あらゆる手だて、すべての手段を尽くして救おうと立ち上がって下さる仏様の活動と申してよいかと思います。
如来はお浄土で居眠りしているのではありません。拝んで下さい。阿弥陀様は立ち上がっておられるではありませんか。私を助ける親になられてから十劫(ごう)と説かれていますが、親になったからヤレヤレ安心とひと眠りしているのではない。悩める衆生がいる間はどうして休んでおれようか。この心を親鸞様はご和讃に「弥陀成仏ノコノカタハ、今二十劫ヲヘタマヘリ、法身ノ光輪キワモナク、世の盲冥(めい)ヲ照スナリ」と述べられました。
十劫以来今日まで、世の盲冥を照らすとは、迷いとくらやみに、真実を見とどけるまなこを失った私たちに働きかけていて下さるということ。「見る眼もなければ行く足も、私しゃ赤子で立てぬげな。歩いて来いよの親でない。抱いて帰るの親じゃげな」だれが詠んだか、一口の歌の中に如来の一方的な活動が躍り出ております。

法話213挿絵

今静かに自分をふり返ってみる。手を合わせている私、お念仏を口にしている自分。これはただごとではありません。もともと私にないものが手の上に、口の上に出て下さっている。如来の善巧方便の働きをしみじみ感ぜずにはおれません。「信ずる心も念ずる心も、如来のご方便よりおこさしむるものなり」まことにまことに広大なお育てでした。さあ声高らかに、共にお念仏を唱えつつお浄土への道を歩ませていただきましょう。

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