法話212

人々の上に平等に(大海のように深い慈悲心)

坂井町蔵垣内・勝林寺住職・吉崎別院副輪番 佐々木教應

仏の心(三)

引き続いて仏の慈悲についてお話しましょう。観無量寿経をいただきますと「仏心者大慈悲是」と説かれてあります。仏のお慈悲は「大きいとも大きいとも底なしじゃ」とおっしゃるのです。浅い私の心では深い仏のお心をくむことは不可能です。大海のような深い広いお慈悲だけが、私一人のために注がれてあると聞かされては、もったいのうて頭が上がりませんネ。
慈悲とは人間の言葉で言えば、かわいいという親の涙。かわいいという心は仏様でなくても私たち人問にもあるはずです。でも人間のもつ慈悲はあまりにも小さく狭いものです。自分をとりまく関係のある者だけにしか動かない。また関係のある者でも一度愛情が裏切られたらたちまち恐ろしい憎しみに変わるというお粗末なものです。
ところが仏様のお慈悲の心は永久に変わることなく、一切の人々の上に平等に働いて下さるのです。この限りなき如来の心が私の上に働いていて下さる。なぜ私一人に慈悲の涙を流して下さるのでしょうか。それは私の苦しみを、仏自身の苦しみと受けとって下さるからなのです。
仏の心を「自他一如」と言われる。これはアナタとワタシは一つですよということ。夫婦は一心同体というが、果たしてそうでしょうか。同床異夢の言葉の通り同じ寝床にいても見ている夢は別々です。夫の夢の続きを妻が見たと言うことは、いまだかつて聞いたことがない。皆別々なのです。

法話212挿絵

こうした人生の中にあって、如来だけがこの私を抱きしめて、共に泣いていて下さる。子供の悲しみはそのまま親の悲しみでした。何もかもわかって下されればこそ、捨ておけん、ほうっておけんと呼びかけて下さる。私は今大きな幸せの中につつまれているのです。

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