法話211

人を幸せと喜びに(過去、現在、未来を理解)

坂井町蔵垣内・勝林寺住職・吉崎別院副輪番 佐々木教應

仏の心(二)

仏様のお心について引き続いて聞いて下さい。知恵の仏様とは、私の過去も現在もそして未来までもみなわかっていて下さる。考えて見るとこの世の悲しみとは一体なにか。それはわかってもらえないということでしょう。一家の中にありながら、しかも親子、夫婦、しゅうとめ嫁と互いに深い契りを結びながらなぜ悲しい涙が絶えないのでしょうか。それはお互いに「わかってもらへない」という寂しさが、家庭を不幸にしているのでないかと考えます。
このような現実生活を通して、今私にはだれにもわかってもらへなくても如来様だけが「わかっているヨ、知っているヨ」と手をとって下さっている。悲しい現実の中に如来のみ声が聞こえて下さる。悲しみがそのまま喜びに変わって下さる。なんという大きな幸せでしようか。
しょせん人間は自分一人では自分をかえていくことは出来ません。煩悩というレールの上を走る人間列車、もう方向をかえるわけにはいきません。こんな私が今、阿弥陀如来の本願のレールの上に乗ぜられるのです。人生の旅路の方向転換なのです。人間の悲しみも苦しみも、そのままが喜びと感謝に転ぜられていくのです。

法話211挿絵

今の世は力がものいう時代です。金の力、政治の力、学問の力、電気の力、機械の力、こうした人間の知識によって生み出された力。この力の中に生きる私たちにとって、仏の知恵によってうみ出された本願力が与えられているのです。この本願の力こそ私の人生を幸せと喜びにかえて下さるまことの力です。
親鸞様は、この風光を「光明の砿(こう)海に浮かびぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず」と喜ばれました。わかって下さる仏様に抱かれている自分を確かめたいものです。

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