法話210

法を聞き仏心知る(知恵、慈悲、方便の三面で)

坂井町蔵垣内・勝林寺住職・吉崎別院副輪番 佐々木教應

仏の心(一)

私たちは仏様のお話を聞いても、この目で仏の存在を確かめることは出来ません。でも法を聞くことによって、仏のお心を味わうことは出来るのではないでしょうか。たとえば、目の見えない人は料理の品を見ることは出来ませんが、食べることによってその味を知ることが出来るのと、同じではないかと思います。
仏様の心を知恵と慈悲と方便の三つの面からお示し下さってあります。しかし私たちにとっては仏様と人間とは全く別のもの、異質のものとして、知恵だ慈悲だといわれても、今一つ私の心にうけとりにくいものがあるのでないか。あなたも同じではないかと思いますが、いかがですか。
ところで私はこの仏のお心を、自分の生活を通して次のように味わってみてはどうか。聞いてみて下さい。知恵とは「すべてを知っていて下さる仏様」、慈悲とはすべてに涙をかけて下さる仏様」、方便とは「すべてを救うて下さる仏様」ということ。そして「すべて」のところを私の字におきかえて見て下さい。そうすると仏様と私は別のものではない。私一人のために如来の知恵と慈悲と方便が働いていて下さるということです。

法話210挿絵

もう一度味わいましょう。仏様の知恵の心とは、この私を知っていて下さるということ。いや、もっと深いのです。私の心のドン底までわかっていて下さる親様ということです。
人間は常に幸せを求めていますが、真の幸せとは何か。あなたはどうお考えになりますか。私は幸せとは、この私の心のすべてを知っていて下さる方、わかっていて下さる方。そうした方がいつも私の側にいて下さるということ、これにまさる幸せは外にないと思います。

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