法話208

現在が未来つくる(私の罪悪に如来の救い)

坂井町蔵垣内・勝林寺住職・吉崎別院副輪番 佐々木教應

三世因果について(二)

続いて三世因果についてお話しします。私にとって与えられているのは現在だけです。過去も未来も私にはわかりません。でも仏の教えを通して、現在に立って過去をふりかえる時、人間として生まれたことがいかに尊いことか。「それ三悪道をのがれて人間に生まれたること大きな喜びなり」とおっしゃった源信和尚のお言葉がしみじみありがたくいただかれます。
この尊い人間界に生まれた再びの中に、これからどう生きるかが私の未来への歩みであります。煩悩をかかえたこのままで一生終わったとしたら私の未来はどうなるのか。
肉体は焼けば灰、埋めれば土となってなんにも残らんというが、因果の道理に目覚める時、死んだらハイソレマデとうそぶいておれましょうか。人生七十年の私の行為が、そのまま業因となって私の未来をつくり上げていくという厳粛な因果の法に照らすとき、何人も未来を否定することは出来ません。
ただ悲しいことには私の現実はあまりにも罪悪的存在であるということです。良いと知りながら善(よ)いことが出来ない私。悪と知りつつ悪をやめることの出来ない私。とうとう悪道からのがれることの出来ない私です。

法話208挿絵

しかる今このような私に如来の救いのみ手がさしのべられているのです。阿弥陀仏は一切の人々のために大いなる願いを起こされました。仏自ら大施主となって罪悪と苦悩の泥沼にあえぐ私の中に飛び込み、南無阿弥陀仏のみ名を与えて下さっているのです。
私たちはこの仏の願いを誓いの法(のり)にあわせていただくことが、現在生きている者の大切な仕事なのです。私の罪業が転ぜられるところに、再び三悪道に帰ることのない幸せな未来が約束されるのであります。

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