法話203

死の彼方にあるもの

鯖江市戸ノ口町・乗誓寺副住職 鎌数学

「塀(へい)のむこう」

村野四郎
さよならあと手を振り
すぐそこの塀の角を曲って
彼は見えなくなったが
もう二度と帰ってくることはあるまい
塀のむこうに何があるか
どんな世界がはじまるのか
それを知っているものは誰もないだろう
言葉もなければ 要塞(さい)もなく
墓もないぞっとするよう なその他国の谷間から
這(は)い上ってきたものなど誰もいない
地球はそこから
深あくかけているのだ

法話203挿絵

「塀のむこう」とは人が必ず直面しなければならない死のかなたを指します。詩人はそこを「ぞっとするような」「他国の谷間」と歌っています。まことにこの私がいつか死なねばならないという思いほど恐ろしいものはありません。親鸞聖人は歎異抄で「死なんずるやらんとこころぽそくおぼゆることも煩悩の所為なり」と語っています。
「生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば 弥陀弘誓(ぐせ)のふねのみぞ のせてかならずわたしける」
村野四郎が詩人は「永劫(ごう)の旅人」であるというとき、いみじくも彼は長い間迷いの海に沈んでいる私たち凡夫の姿を言い当てています。自分の姿を知ることは死のかなたの光に出合う第一歩であります。

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