法話194

喜びの種を拾おう(苦悩はだれでもが経験)

坂井町御油田・演仙寺住職 多田淳政

人間に生まれて

私たちは幸いにも人間として生まれてきました。犬や猫や虫けらなどに生まれないで、人間の生をうけたこと、それは本当にすばらしいことであります。
もちろん、人間の一生には、いろいろな悩みや苦しみがあります。病気や貧乏、または親子兄弟でさえ争わねばならぬこと、そういういろいろな苦悩はだれでもが経験することであります。そしてそのことでぐちをこぽしたり、生きるかいも無いと思うことさえあるでしよう。
しかしよく考えてみると、人生にはぐちの種もたくさんありますが、また喜びの種もたくさんあるはずです。それなのに、ぐちの種ばかり拾って、喜びの種を拾おうとしないのは、まことに情けないことですね。
今も申しましたように、人間の生をもって生まれてきたこと、そして今こうして無事に生きていること、それだけでも大きな喜びではありませんか。

法話194挿絵

しかも、生まれたことは生まれさせてもらったことであり、生きていることは実は生かされていることであります。
こうしてすべては大きな力のたまものであり、おかげさまであったと気づくとき、私の眼前に新しい世界が開かれてきて、そこから人間としての本当のすばらしい人生が展開されてくることでありましょう。

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