法話189

毎日生きる努力を(一度の人生最大限に)

坂井町御油田・演仙寺住職 多田淳政

お慈悲をいただいて

私たちはみんな、せいいっぱい生きています。否、生きようと努力しています。それは本当に尊いことと思います。もし生きる努力を無くしたら、せっかく人間に生まれたかいがないといわねばなりません。
文学者山本有三氏の記念碑に「たった一人しかない自分を、たった一度しかない人生を、本当に生かさなかったら、人間に生れてきた甲斐がないじゃないか」と書かれているそうですが、まことにその通りだと思います。
しかし同時に、生きることは実は生かされているのだと気付くことも大切でありましょう。初秋の涼風に黄金色の波を打たせている稲穂を見ると、おう盛な生命力を感じますが、その稲も実は初めに人間の手によって種がまかれ、さらには太陽の熱や光、雨水の恵みによってはじめて育てられているのです。それと同じように、私たちもまた大きな恩恵によって、生かされ、育てられていることを思わずにはおれません。

法話189挿絵

そしてさらに大切なことは、この私が救われ、仏にまで育てられるのは、全く仏さまのお慈悲によるのだということです。欲や怒りの煩悩に目がくらまされて、仏の方へは一歩も足の向かぬこの私を、仏さまのお慈悲の心は常に守り育てていて下さるのであります。
御和讃にも「煩悩にまなこ障えられて、摂取の光明みざれども、大悲ものうきことなくて、常にわが身をてらすなり」とあります。仏さまのお慈悲一つで、仏の世界へと育てられてゆく私、まことにありがたいことであります。

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