法話186

自分の心知る教え(喜びと感謝の人生開く)

坂井町御油田・演仙寺住職 多田淳政

自己を知る

私たちは、自分ほど不幸せな者は無いと思いがちであります。そしてその不幸せはみな他人のせいであり、他人が悪いから自分が苦しまねばならぬのだと、他人を恨むことが多いようであります。しかし、果たして自分の苦悩は他人のせいでしょうか。自分自身の心をもよくよく考えてみることが大切ではないでしょうか。
蓮如上人も「人の悪きことはよくよくみゆるなり。我が身の悪きことはおぼえざるものなり。我が身にしられて悪きことあらば、よくよく悪ければこそ身にしられ候と思いて、心中をあらたむべし」と仰せになっています。
もっとも自分の心はなかなか見えません。ちょうど自分の顔は見ることが出来ないように、自分の心も見えないのです。しかし鏡を見ることによって自分の顔が見えるように、私たちの心も教えの鏡に照らされることによって、わかることが出来るのであります。

法話186挿絵

真宗で聞法(もんぽう)が大切だというのはここにあるのです。教えを聞くことによって、自分の苦悩は他人のせいではなくて、自分の方に原因があったのだと反省されます。またこの自分の心の相が知られたのは、仏さまの知恵と慈悲のお光に照らされたためであったと気付かされ、そこに照らされている喜び、まもられている幸せを感得させていただくことが出来るのであります。
そこにこそ、喜びと感謝の明るい人生が開かれてゆくのであり、まことにありがたいことがあります。

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