法話172

子を持って知る親の恩

佐賀県本願寺布教使 木山星生

心にかおりを(一)

「オギャー」という人間の生まれてくる時の声は、生まれる意志はなかったのに生んだ親への抵抗の言葉である。という外国の哲学者の意思を引用して「だから私は結婚して二十数年になるが、子供はつくっていない」と語るゲストを交えて親子問題を放映しているテレビ番組に、現代の空々しさを覚えたことがあります。
そのころ私はその話と、全く対照的な話題の人に出会いました。結婚して十数年たって、ようやく子供に恵まれた人です。自分たちには子供ができないと、半ばあきらめていた夫婦にとって、新しい命を宿した日々がどんなに大切だったことでしょう。

法話172挿絵

長い陣痛で、しかも逆子で生まれかけては幾度が胎動か止まるという難産の末、かすかなかすかな「オギャー」のひと声を耳にした時、この人は思わず「ナモアミダブツ」とお念仏せずにはおられなかった、と語ってくれました。
生まれる意志があろうとなかろうと”子を持って知る親の恩”であると同時に”子を持って知る子の恩”に気付かしく頂く「人身受けがたし。今すでに受く」のお育てに”心にかおり”を頂いたことでございます。

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