法話168

文明の尺度

大野市元町・円和寺住職 日種真隆

東京は日本の首都であり、文明の街であるが、意外に迷信が多い。いや、都会ほど迷信が多く、地方の方がむしろ少ないのではないか。私には、浄土真宗の教えが濃いところほど、迷信が少ないように思われるのである。
「なぜ葬式だけ迷信こだわる」
金沢市中野正次(無職・七十三歳)
「先日、おいの葬式で東京に行った。告別式を終えて火葬場に着くと、ごった返していた。前日が友引だったので、葬式が二日分たまったからだという。このため火葬は大幅に遅れ、その後、自宅であった初七日の法要も、帰りの列車の都合で中座せねばならなかった。
友引とは何なのか。広辞苑には、“暦注の六輝の一。相引きで勝負なしという日。朝晩は吉、昼は凶とする。友を引くとして、この日葬式を営むことを忌む俗信がある”とある。
科学技術は世界的な水準に達したといわれる日本で、このような愚にもつかない迷信が横行しているとは情けない。一方、大安は結婚式によいとされているが、最近はあまり暦にこだわらず、ほとんど土、日曜日に行われている。
(中略)こうした合理性が見られる半面で、なぜ葬式だけ迷信にこだわるのか。やはり死を恐れる人間の弱さなのか、と考えさせられる一日だった」
文明の度合いを計る尺度の一つに「迷信」が挙げられるのではないかと、私はこの文を読んで思うのである。

安心して死ね

大野市元町・円和寺住職 日種真隆

法話168挿絵

ふるいお説教の本を読んでいましたら、こんなおもしろい話が載っていました。
江戸時代、江戸の町にさる大金持ちがおりました。大事な大事なその一人娘が原因不明の重い病にかかり、あらゆる名医に見せ、あらゆる高貴な薬を飲ませても、いっこう直りません。御利益があると聞けば、全国の神社仏閣のお札をもらい、また加持祈祷(とう)もやってもらいますが、まったく効き目がありません。それどころか、日々に衰え、いよいよ命旦夕にせまり、きょうかあすかという状態になってしまいました。
そんなとき、四国は伊予の国から、まことに偉いお坊さんが今江戸の町に来ているという噂(うわさ)を聞きました。生き仏と評判の人です。藁(わら)にもすがる思いで、この金持ちは早速逗(とう)留中のお寺を訪ねました。礼を厚くして娘の命を助けてくれるように懇願します。
「和尚さま、どうか娘の命お助けください」
「よしよし、まかせておけ。ありがたいお経をあげてやろう。しかし、お布施は前金でなければダメだぞ」
「ああ結構でございます。前金でいくらでも、娘の命助かるなら身代なくしても惜しくはありません」
「おう、そうか。まさかおまえの身代全部くれとは言わんが、それなら金子百両と米百俵、今すぐ鎌倉の円覚寺に送り届けてくれ」
えらくふっかけたなとは思いましたが、一人娘の命が助かるならなんでもないこと。言われるとおりにしました。そして、立派な駕篭(かご)に乗せて、この和尚を自分の家まで連れてきました。すると和尚は、仏壇に向かってもったいぶって般若心経を一巻あげました。たったそれだけです。般若心経なら、そうですね、短いお経ですからおそらく五分もかからないでしょう。それだけとしたなら、まことに高いお布施ですが、やおら親父に向かって「ちょっと娘と話をさせてくれ」と頼み、人払いをし、病める娘の枕(まくら)元で懇々とさとして聞かせました。
さて、この和尚さんはたして、はたしてどんなことを言ったのでしょうか。また、娘の命はどうなるのか。その続きは次回からのお話でいたします。

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