法話165

仏壇

大野市元町・円和寺住職 日種真隆

ある同行の家で法事があった。その家から他家へ嫁がれていた人が「本家のお仏壇は本当のお仏壇やの。私の家にもお仏壇があるが、私の家のは空仏壇や」というのである。
そこで、どうして空仏壇なのか尋ねてみると「本家のは先祖の位牌(はい)が祀(まつ)ってあるので本当の仏壇や。うちは新家で、まだだれも死んでいないので、お仏壇に位牌がない。だから空仏壇や」という。
そこで、お宅のお仏壇にも仏様はおられるのでしょう、と聞いてみるとそれはちゃんと阿弥陀様がおられますとの答えである。
「それなら立派なお仏壇ではないですか。あなたの思っているのは、何というか、先祖を祀っておくところが仏壇という受け止めやから、それならむしろ先祖壇というべきである。今、仏壇のことを先祖壇といわずに仏壇という。それは仏様がおられるから仏壇というのであると、受け止めてほしいのだが」と話すと、うなずいてくださったことがある。よく「仏壇をどこに置けばよいか」ということを聞かれるが、場所や方角の問題でなく、受け止めの問題であると、私は思っている。
仏壇を置いておくのではなく、仏様のおられる家に、私が同住させていただいているという、思いであるべきである。
仏壇を置く場所や方角ではなくて、問題なのは、わが身が日ごろどちらを向いているかであろう。

ある見出し

大野市元町・円和寺住職 日種真隆

法話165挿絵

若婦人の研修会があって、話の種としてこんな問題提起をした。
(瀬戸内海のある島に、浄土真宗のお寺があって、毎日おあさじが勤まっていた。ある日、裏山が崩れて本堂がつぶれ、お参りしていた人たちが亡くなったり、けがをしたりした。「祈りの場、無残」という見出しで、このことが新聞に載ったが、本願寺がこの見出しの訂正を申し入れた。どのように変えるように言ったのか。またそれはどうしてなのか、皆さんで話し合って考えてみてください。)-というもの。
集まっていたのは、二十代から四十代の婦人が百五十人ほど。みんな浄土真宗の門徒のお嫁さんたちであり、ほとんどが勤めを持っている人たちであった。しばらくして聞いてみたが、正解だった人は三割ほどだったように思う。
正解は、見出しの「祈り」を「聞法」にするということである。浄土真宗いは祈りはなく、お寺「聞法の道場」と受け止められているのである。座禅も修行も祈願もないが「聞法」があるのである。
記事を書いた新聞記者は、このことを知らなかったのであるが、これはそのまま、世の多くの人の姿であるように思われる。
ところで次のクイズ、適当な言葉が入るだろうか。
1.○○○は○○○置いていく
2.○○は○○○○持っていく
3.○○は○○○○落ちていく
【ヒント】=キカズニ、オカネ、ツミ、タメテ、ホウ、ツクッテ=のコトバガドコカニハイリマス。

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