法話163

地獄は本当にあるか

円和寺住職 日種真隆

科学と宗教

「これは、自分たちでいくら議論をしても分からないから、ひとつ偉い和上さんに聞いてみようじゃないか」
という事になって聞きに行った。そしたら、その和上さんがたったひと言、
「それは、一体だれの行く地獄のことかね」
と問い返されたというのです。私はこの「だれの」と言われたところをじっと味わっていかねばと思います。そしてその味わいを深めるために、さらに次の話をじっとかみしめてほしいと思うのです。
それは、日本の歴史をひもといていく時、渡辺華山という人がおられますが、この入は絵も書いた人ですが、科学者でもあった人です。ある時、仏教の話を聞いていたら、地獄の世界の事を説かれておった。そこで不思議に思ってお経を調べてみたら、やはり地獄の世界の事を説かれてあるのです。しかし、いくら考えてみても、そうした世界を肯定出来なかった渡辺華山は、科学者としての立場もあって、ある時、本法院義譲という和上さんの所へ訪ねて行った。そして、のっけから、
「地獄は本当にあるものか」
と切り出したのですります。すると全く意外なことにその和上さんが、
「ないわいや」
と答えられた。この答えは渡辺華山にとって、全く意外な答えだったに違いありません。問えば必ずあると答えるに違いない。そしたら見せてみよと身構えて行ったのに「ないわいや」と答えられたのです。

自分に問うべき地獄

円和寺住職 日種真隆

科学と宗教

法話163挿絵

そこで
「それはおかしい。お説教の中でもお経の中でも、ちゃんと地獄の世界のことを説いている。それなのにお坊さんであるあなたが、どうしてないというのか」
と、かえって質問が逆になった形です。すると義譲師は、ケロリとして、
「いや、あるわいや」
と答えられた。
そこで渡辺華山は、かっと腹が立って
「あんたは、人が真剣勝負をしに来ているのに、先ほど問うた時には、ないと答え、今ほど聞いた時にはあると言うて、真反対なことを答え、人をなぶるにもほどがある。一体全体、あるのが本当か、ないのが本当か、どちらが本当か」
と尋ねたら
「どちらも、本当じゃ」
とやり返された。面白い話ですね。
「それならば、どうしてないのが本当か」
「お前がなあ、作らなかったならばないわいや」
「どうして、あるのが本当か」
「お前がなあ、作ったならばあるわいや」
とにらみ返された。
問題は、あるかないかと、向こうに眺めて考えている世界ではなくて、それを問うている自分自身が、地獄の業を作っておるかおらないかという、自分を通して味わって行かねばならないということです。
親鸞聖人が「いずれの行も及び難き身なれば、地獄はきわまりきわまった住み家である」と言われたのも、わが身を通して味わって行かれたのです。

法話162 トップ 法話164