法話161

民族、国境越えて理解

円和寺住職 日種真隆

科学と宗教

世界宗教というのは、民族や国境を越えて世界の国々に伝わっているもので、教義を持ち、高い精神的な救いを説き、人間の進むべき道を示しているのです。こういう点が原始宗教や民族宗教と全く異なるのであって、私は宗教に対する高い認識を多くの人が持ってほしいといつも思っています。
仏教、キリスト教、回教がこの世界宗教に入るわけですが、特に仏教は昔の仏教でなく、近代仏教としてどんどん研究が進められ、科学が発達して行くように、仏教に対する理解の仕方もどんどん進歩しているのだということを知ってほしいのです。
さて、この世界宗教と民族宗教ということで思い出される話ですが、だいぶ前にイギリスのエリザベス女王が日本へやって来られた時のことです。政府の案内でエリザベス女王は、お伊勢さんへ行かれたのですが、行かれただけで別にお参りはされなかった。ところが、京都の西本願寺へ行かれた時は、ちゃんとお参りをされたというのです。これはどうしてでしょうか。
それは言うまでもなく、民族宗教と世界宗教との違いをはっきりとエリザベス女王が知っておられたということです。すなわち、お伊勢さんは神道であり、日本人という一民族の民族宗教です。そこへ行くと、仏教は教義を持ち、世界の人々の救いを説いている世界宗教である。だからお参りされたのであって、宗教に対して高い認識を持っておられたのだということがよくわかりました。

幸せの追求に不可決

円和寺住職 日種真隆

科学と宗教

法話161挿絵

さて、問題を元に戻して、科学が発達したら宗教はなくなるという点ですが、私は科学がどんなに進んでも宗教はなくならない。いやなくならないどころかさらに新しい使命を与えられて行くと考えています。そしてそういう使命に、もしこたえられなければ宗教の意味がなくなるのではないかと思います。
科学というものは、もともと人間の幸せを願って進められたものです。その科学の中で原子科学は最先端を行くものと思いますが、それが原爆となって人間を殺す鬼子になったということをどう考えたらいいのか。また原爆に限らず、公害の問題でも食品の問題でもかえって人間を不幸にしているが、それをどう考えたらいいのか。
それはもとより科学それ自体が悪いのではなくて、要するに科学を使っている人問の問題であると言わねばなりません。すなわち、開発された科学を善い方に使うか悪い方に使うか、それを決めるのは人間であり人間の心の問題になってきます。このように問題が人間の問題になってきた時、それはもう科学の問題ではなくて宗教の問題だと言わねばなりません。
思うに、科学と宗教は共に人間の幸せを願っているものであり、それは車の両輪のようなものでどちらが欠けてもいいというものではありません。また対立するものでも矛盾するものでもありません。宗教を否定する科学は真の科学ではないし、科学を否定する宗教もまた真の宗教ではないのです。そして宗教は科学の批判に耐えて、迷信的な要素をぬぐい去るべきです。

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