法話130

聴聞で喜び求めよ(自分を省みるゆとり必要)

安楽寺住職 佐々木俊雄

若嫁さんに-よろこび⑤

幕末に福沢諭吉がアメリカヘ渡ったとき、ワシントンの話に感動し、ワシントンの子孫は今どうしていますかと質問して、相手をとまどわせたというエピソードがあります。
社会のしくみを改良することによって、幸福への原点を求めていたアメリカにくらべ、日本が「家」を重んじていた対比が面白いが、今日までの日本の歩みも、社会の改良発展が中心であったことは疑いありません。私どもが交わす会話の中にも、社会を非難し、政府を批判し、先生や隣人、同僚の悪口も日常茶飯事となっています。
しかし、それらはあくまでも私どもの環境の問題でありまして、人間の幸福への原点は、もう一つ私自身にあることに思いをあらたにする必要があろうと思います。それは、自分が自分をみつめるところから出発するものなのであります。
日を重ねるごとに忙しく気ぜわしくなりがちでありますが、心のゆとり「動」に対する「静」の一刻をぜひとも持ちたいものであります。一日のうち、せめて一パーセントの時間(私の友人の説によると、それは入浴の時間程度だそうです)工夫できないものでしょうか。

法話130挿絵

その心がけによって「静」の時を過ごすことができますならば、きっとその時、ご法のお聴聞の内容が、あなたの血や肉として、きっとよみがえってくるものと信じます。そうなれば、問違いなく、人生のよろこびを味わう人間として生まれてきた最良の生きがいに生かされることができるでしょう。

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