法話121

「生死」の鉄則は不変

法円寺住職 細江乗爾

ぽつんと一人

この世の中は、考えてみますと、本当にはかなくて、そして寂しくって、悲しい。そう言う事が考えられるのではないでしょうか。お昼の世界では、何となく忙しくって、ばたばたいたしておりまして、気付かない事も、何か、夕暮れ、日が落ちまして、ポコッと胸の中に穴が開いたようになった時、しみじみと、「あれーっ」と言うのか、「皆いなくなったな」という感じと言うか、何か寂しく、悲しいものを、ふっと感ずるものがあるものであります。
特に健康なんかが、ちょっとすぐれないと「大丈夫なんだろうか」と思ってみたり、一般には、気が弱くなったと言う言葉で片付けられるかもしれませんけれども、そういう事が、私たち人間にはあるのではないでしょうか。

法話121挿絵

しかし、いかに文明が開け、忙しい世の中になろうとも、一人生まれて一人死に、一入来りて一人去る、というこの鉄則だけは、永遠に変わることがないのであります。個人というものは滅びます。また社会にもそういう事はあるでしょう。また大きくいえば、地球にもこういう事があるかもしれません。
あらゆるものがことごとく、滅びるという事の上に立っているのであります。自然法爾と言う言葉もあります。親鸞聖人は、私は今、不可称、不可説、不可思議、唱えるべからざる、説くべからざる、考えることさえ、難かしいところの、この大事の中にいると言われたのであります。

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