法話110

一年の苦悩と歓喜(年の暮れの「さようなら」)

平乗寺住職 神埜慧淳

一茶の句に「うつくしや年暮れきりし夜の空」というすばらしい句があります。"年暮れきりし”なんともいえないさわやかさがあります。
年末になりますと、各地でべートーベンの第九が演奏されます。私思いますに”苦悩を通しての歓喜”というべートーベンの信条が、年末にあたり、日本人の感性に結びつくのではないかと考えております。”苦悩を通して”ということと”年暮れきりし”とは、可か共通点のようなものがあると考えております。
年暮れきりし、そして、夜の空と続くのでありまして、”夜の空”のなんとおおらかなことでありましょうか。すべてを受け入れてゆく、そして、しらん顔をしている。善導大師の「願入弥陀海、帰依合掌礼(きえがこようらい)」、弥陀海に願入して、帰依し合掌し礼したてまつれ。ただ暮れきりし夜の空に合掌するのみであります。その夜空のなんと美しいことでありましょうか。

法話110挿絵

今年一年の出来事も、よろこびも悲しみも、絶望と歓喜も、夢そのまま、阿弥陀如来の願いの中に入ってゆくのであります。一つに納められてゆく、ありのままに納められてゆくのであります。それは、あの激しい苦悩が、あの寂しさが、デフォルメすることなく”暮れきりし”となってゆくのであります。
今年は赤ちゃんが誕生しました。芽生えるものも、枯れ行くものも、ともに金剛の志をおこして、一つに納められてゆくのであります。べートーベンの第九を聞きながら、今年も暮れてゆきます。”苦悩を通しての歓喜”に思いを寄せながら、今年に”さようなら”といいます。

法話109 トップ 法話111