法話091

人を守り育てる私(苦労の中に収穫の喜び)

乗誓寺住職 鎌数静雄

聞法こそ幸福への道

「世間の人は心動じて、福の果報を愛好し、しかも福因を好まず」。この言葉は「大智度論」の中の言葉ですが、大変大切なことが教えられてあります。
世の中に幸福を求めない人は一人もありません。人それぞれに幸福を手に入れるべく努力しておりますが、ややもすると、その方法を誤っている人が多いのではないでしょうか。
それは俗にいう「まかぬ種は生えない」という言葉がありますように福因、すなわち幸福が実現する種まきを怠ってはいないでしょうか。よき収穫を得るためには、よく耕し、肥料を施し、よき種をまき、除草などに汗してこそ、初めての収穫の喜びが味わえるのではないでしょうか。
今、私の場合は聞法を怠りなく続けることが、よき果報を得る唯一の方法だと思っております。
聞法とは、み仏様の「願い」を聞くことであります。み仏様とは、あらゆる人びとのお粗末な心を耕して、よき種を施し、それを守り育てて、ついには仏様に生まれしめて下さるお方であります。
よき種とは、暗い心の中に明るさを与え、冷たい心の中にあたたかさを与え、恐ろしい心の中に和らぎの心を施して下さるのであります。

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こうした尊いお心に常に育てられてこそ、どんな環境の中にありましても幸福感が味わえるのであります。多忙な日々の中で聞法を続けることは何よりも困難なことですが、怠りなく続けることを忘れてはならないと思います。

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