法話074

忘れがちな親の恩(常に見守る慈悲の尊さ)

明厳寺住職 光山善龍

仏心と親心

「忘れても忘れぬ方はただ一人夜ひる常に守る親さま」
私たちは弥陀如来の願力の尊さ、ご慈悲の広大さを忘れてはならないはずだが、忘れ通しに忘れている。それにもかかわらず、如来はお忘れなく、夜昼常に私たちをお守り下されている。とかく人間はわがまま勝手なもので、私たちが幼少の時以来、並大抵ではない養育世話を受けた両親の恩、とんと忘れてその日その日の生活に追われている。
さて横着な私も子を育て、年を重ねたこのごろになって親の恩をしみじみ味わう時がある。だがまたして忘れがち。父に死に別れて五十年。母は高齢九十五歳でやがてその母とも別れる時が来る。
親ありて今日の姿、今日の命、この私がある。”父に慈恩あり母に慈恩あり、人この世に生まるるは宿業を因として父母を縁とせり、父母の恩深重なること極りなきものなり”と仏説父母恩重経に説かれてある。

法話074挿絵

仏のご恩は広大無辺夜昼常にお守り下されているのに、私は香花のご給仕さえつい忘れ、報謝の声も忘れがちの横着生活。まことにお恥ずかしい申しわけない次第であると思うとたん、お念仏が浮かび出てくださる。「忘れても忘れぬ方はただ一人夜ひる常に守る親さま」
親驚聖人は御和讃に、この世の利益きわもなしと説かれてありますが、常に守りたもう親さまのことをお述べになったものであります。仏心凡心の一体一如となる尊さも、信心獲得の後はこの世ながらに光明の中に生活せられる幸せも、深い親心仏心が私たちの胸に至り届いて下されたからと、味わい喜ぶべきであります。

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